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「心の温かみのある子どもたちが育ってくれることを願っています」
新里盛氏(上平沢小学校校舎建築記念事業協賛会会長)
学区民林の誕生のきっかけは修学旅行
私は、ここの学校の卒業生でございます。昭和十二年に一年生でございました。七月七日に日中戦争が起こった年でございます。その年に私たちの先輩の方々約百三十人ほどに伊勢神宮への修学旅行が計画されました。当時の旅行費用は、だいだい一人当たり九円六十銭。当時の米の値段は十二円ほどでございました。当時の志和村(現在の紫波町志和地区
。上平沢も志和地区に入る)の耕地面積は、水田が約八百ヘクタール。そして、平年作の反当収穫量は、四俵から五俵、つまり240から300sだったようです。そして耕作面積は、1戸平均1haぐらいで、その半分以上が小作人であったと聞いております。
そこで、奨学会の積立金の方から、九円六十銭のうち、三円を助成をしましたが、それでも約三分の一は旅行に行けませんでした。中には親御さんで大家さんに行って、「今度修学旅行に、おらほの息子やりたいがどうでやんすべ」と、こう打診方々お願いをしたところが、大家さんが、「うーん、旅行ていいごどなんだ。ほんだどもなし、あそこで倉あるずども旅行さやらねずじぇ」こういわれた途端にお父さんは目の前が真っ暗になった、そのような、世の中の事情を抱えての修学旅行だったようです。
そこで学校では、今後のことを考えると、教育の機会均等(当時は使っていない言葉ですが)を実現していかなければ、子供たちの勉強を保障することは出来ない。そこで、学校長は部落内を回って、有識者といわれる指導者の方々や村長さんなどと、ほとんど毎日のように懇談をしたり、相談をした。が、しかし、当時の志和村は、亡国病といわれた結核対策を強化しなければならなかった。一度、肺病に侵されますと、かまどがえし(一家破産)になった、と言われるほど恐ろしい病気だったといわれています。また、当時は農業用水の確保が、至上使命でした。親は、この二つの大きな課題のために、子供たちの生活あるいは学習を保障することは非常に難しい。そこで考えついたのが、学校の山を作ろうという全職員の結論であったと聞いております。
めざしたのは木とともに育つ植林教育
大正十一年の後半から、全職員で郷土史の調査研究に取組むなかで、先生方は、「教育とは、歴史の教訓を大切にして、教育を進められなければならない」ということに着目したそうです。そして、昭和十三年の七月の村議会で学校の山を営林署から借りて植林をしたいとお願いした。学校林と呼ぶところが多いようですが、上平沢の村議会にかけた議案書によりますと、学校実習林という名称になっております。基本とする考えは、植林教育で、山に木を植えて、その木を植えてお金を儲けるのが目的ではない。お金も大事ですが、子供たちは小さいときから木を育てながら、自分も育てられていく、そういう教育を基本とした学校実習林であったと聞いております。もうすでに現在八十にならんとする人たちが当時の六年生、高等科で植林を始め、六十数年経って、この校舎の建築用材として活用されることになりました。
去年の正月、役場から学校の山の木を校舎建設の材料に寄付協力をしていただけないか、とありました。学校の現在の山は、山の管理運営規約で校舎建築以外の教育の設備、施設等に使うことは許されますが、校舎を建てることは出来ません。そこで、学区民の全員集会を開きまして、皆さんに事情を訴え、皆さんのご意見を聞きました。一番私の心に響いたのは「義務教育の学校を建てるのに、学区民が財産を寄付しなければ、建てられないのはおかしい」という意見でした。有線(※)、電話で何度そのようお話しがあったか分かりません。けれども、「初期の目的がなんであれ、地域の発展、子供たちの教育の機会均等を保障するためにこそ、学校の山が生かされるべきである」との私の考えもお話して、多くの方々の懸命なご論議をいただきながら、ついには「学校の山を校舎建築に協力しましょう」と全員の賛同を得ることができました。
この校舎に使われた木材の量のうち、約十一分の一は学校の山から伐り出した用材です。私たちは寄付するにあたり一つだけ条件を申しあげました。それは、どこに使ったか分かるように活用して欲しいということでした。結果、使用場所は、音楽室に使っていただきました。役場、教育委員会をはじめ関係者の皆様に、この場より厚く御礼を申し上げます。誠にありがとうございました。
※有線・・・紫波町では有線放送のケーブルが各戸を網羅しており、設備を入れれば一般住宅でもケーブルを利用した有線電話を利用できます
地域の人々の思いがこもった校舎
考えてみますと、学校の山にも幾多の危機がおとずれております。昭和二十九年、町村合併を目前として、学校の山はどのように扱っていけばいいのかという、大きな課題がありました。そのときには、論が二つに分かれました。「今の日本の憲法では義務教育を無償とするのだから、学区民が財産を持って学校の補強的な役割はやるべきではない」との強い正論のようなご意見がありました。しかし、一方で「ローマは一日にしてなりません、だから、持ってもいい」と。結果的には、学区民が財産を所有していたからこそ学区民林として、今回、公共施設の建築資材として提供することができました。それを永く守ってくださった、先輩各位、当時の管理関係者の方々の血のにじむような努力には、ただただ頭が下がるような思いでいっぱいです。このように造っていただいた校舎です。ここから心の温かみのある子供たちが育ってくれるであろうことを念じながら、今日の発表とさせていただきたいと思います。どうも皆様ありがとうございました。
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