森林資源循環フォーラム
〈第1部〉基調講演
「今、なぜ、木造の学校を地元材で建てるのか」
講師:山本信次先生(岩手大学農学部付属演習林助手)

「なぜ地元の木で学校をつくるのか」ですが、最初にを答えをだしてしまえばそこに木があるからです。そこに至る過程のお話としては、まず、一つは子供たちが学ぶ場である学校が、木でできているということによって、子供たちにとってどんないいことがあるのか、もう一つは公共施設である学校を木で、しかも地元の建築工法を使ってつくることには、環境、あるいは地域経済、産業にとってどういう意味があるのか、という二つに話に分けられると思います。
生き物にとって心地よい空間、素材とは
ある実験によりますと、遺伝的に同じ一卵性双生児のネズミを、コンクリートの箱と木の箱に同じ温度で同じ湿度、同じ餌、同じだけの水分という条件で入れておきます。すると、木の箱で暮らしてるネズミの方が寿命が長いということが実験で明らかになりました。また、脳波を測る機械を頭につけて、いろいろなものに目隠しをして触らせる。すると木の板に触らしたときには、落ちついているときにでるアルファ波という波長がでる。プラスチックや鉄とかを触らしているときには、その波形がでないそうです。人間というものがどこまでいっても生き物ですから、生き物にとって心地いい空間、あるいは素材というものが間違いなく存在するわけで、子供たちが生の木に触れることができる、そういう環境で暮らすということが、いままであまりにも軽んじられてきたのではないかと思います。
上平沢小学校以外にも木材を使って学校を建てるという運動は、全国各地でおきています。そんな木造の学校におられる先生方とお話をすると必ず声をそろえて、いままでの鉄筋校舎から木造校舎へ子供たちが移ったときから、明らかに子供達の様子が落ちついてきたと言われます。これを科学的に証明しろと言われても困るわけですが、今日も、この学校の先生にお聞きしてみたら、学校の生徒さんたちがやはり落ちついているというお話をされていました。そういう意味でも、僕らの家や暮し自体をこれから見直していかなければいけないとしても、まず最初に学校という地域の未来を担う子供たちが学ぶ場所から、そういったよい勉強をする環境、生活をする環境を整備していくということは素晴らしいことだと思います。
1万年前から農地に変わっていった森
世界中で森林が少なくなりだしたのは、人間が農業を覚えたおよそ1万年ぐらい前からです。、森を農地にかえていったりして森がなくなっていきました。1万年前からだいたい1950年代の20世紀半ばぐらいまでに、世界中に50億ha(※)あった森林が、40億
haにまで減ってしまいました。温帯林の25%から30%ぐらいが1万年かけてなくなったことになります。紫波町もこの温帯に入ります。人間が住みやすいところというのは、当然のことながら自然環境もやさしいので、森も復元力が強い。しかも、自分たちが生きていくために、自分たちが住んでる場所の森を農地に変えていくので、変えすぎてしまって、自分たちがあとで被害をうけるようなことはしません。ですから、自然がやさしかったのと、自分たちの住んでる場所で、自分たちの森を、自分たちの利用のために、ゴメンネって思いながら利用している間はそんなひどいことはおきませんでした。
ところが20世紀半ばの1950年以降に様相が激変しました。1980年から1990年の10年間に、約1億haの森林がなくなったと言われています。1万年で10億
haですから、千年で1億haですですから、森林破壊のスピードが100倍になったことになります。さらに、今は寒帯や熱帯の森がどんどんどんどん壊されています。
※ha(ヘクタール)・・・土地の面積の単位。1万平方メートル。
壊しているのは誰か
では、壊しているのは誰なのか。それは、先に農業をやって発達した先進国の人間が、寒帯や熱帯から木材を輸入することによって、そこの森をどんどん壊しているのです。自分たちが住んでいる場所ではないですから、壊れようが当面は自分たちのところに被害はない。もうひとつ大事なことは、先ほど言ったように温帯の森は人間がちょっとぐらいいじくりまわしたって、自然の復元力の方が強い。熱帯や寒帯では、一度壊れてしまった森はなかなか元に戻らない、というメカニズムがあります。
それを簡単に説明すると、世界中の森林の一定の面積の森の中に含まれている物質の量というのは、多少もちろん違いはありますが、だいたい一定だと言われています。熱帯林の映像などをテレビで見ますと非常に豊な森に見えます。ここで少しぐらい木を伐っても大丈夫だと思ってしまいますが、物質というのは植物の中だけに含まれているわけではありません。森林にある物質の量をためておくもうひとつ重要な場所というのは土です。熱帯は暖かくて、特に熱帯雨林は雨が多くてじめじめしているので物が腐りやすい。どんどん葉や枝が下に落ち、腐っていく。腐ってすぐ植物の中に吸収される。それだけ土が薄いわけです。ここで木を伐ってしまったらどうなるかといえば、土が流れてしまったらもう二度と元に戻らない。実は熱帯雨林というのは、見た目はものすごく立派に見えますが、伐ってしまったら元に戻れない森だということがわかります。
では、寒いところはどうなっているかというと厚い土の中に木が生えている。シベリアとかでは土の中が永久凍土といって凍っています。春先になるとちょっと表面が溶けて、その溶けた水を使って木は生きてます。ここで木を伐ると、太陽光線が地面まで届くようになり、氷が溶けてきます。氷を水の中に入れると溶けますから、まわりの氷がどんどん溶けていく。溶けてくるとそこが池になって木が倒れる。さらに太陽光線があたってどんどん木が倒れる。最後になると、この溶けた水が蒸発して荒れ地になってしまい、森は元に戻らなくなってしまう、というようなメカニズムになります。これが、寒いところの森林の破壊の一つの例です。
いままでお話したように、森がどんどんなくなっているのは、伐ってしまったら元に戻らない場所の森をどんどん伐っているからです。しかも、地元の人たちが自分の暮らしのために伐っているのではなくて、先進国の人間が、ちょっとした生活の便利さをもとめて壊している、ということに大きな問題があります。
世界中の森が失われるわけ
今度は木材の使用量を考えてみましょう。森林から木材をもってくることは、貯金と利息の関係だと思ってもらえば分かりやすいです。例えば100万円預けました。1年間に1万円の利息がつきました。1万円の利息がついたなら、1年間に1万円使う分には、いつまでたっても元本はなくならないはずです。森というのも毎年木が育っていきますから、毎年利息がつくわけです。ちょっと統計が古いのですが、世界中の森林の木材の体積の量を調べてみると、だいたい3800億立方メートルとなっております。風呂桶1600億個分ぐらいでしょうか。これにどのくらい利息がつくかというと、だいたい2%ぐらい利まわりがあるかと思われます。年間に3800億立方メートルの2%というのは76億立方メートルです。とうことは年間に76億立方メートルまで使っても、森はなくならないはずです。が、先ほどお話したように10年間に約1億haの森林がなくなっています。現在、年間に35億立方メートルぐらいの木材を使っている。76億立方メートルの利息がついて、先ほどの例えでいけば、100万円貯金して、1万円の利息がついて、5,000円しか使っていないのに、元本がどんどん減っている。「これは、おかしい」ということになりますが、実は100万円の利息の中で、平均2%の利まわりだといいながら、50万円は利息がつかない預金です。50万円は4%の利息がつく預金をしている。あわせると、100万円で平均すると2%利息がついているはずです。なのに利息のつかないほうから木を伐ってくれば、元本が減るのは当たり前です。いま世界中で行われているのは、利息がつかない、伐ってしまったら元に戻らない場所の木をどんどん伐って、使ってもいい場所の木をちゃんと使っていないことによって、森が少なくなっている、というふうに単純に言うことができるわけです。
人工林と天然林
森林とは、ある程度高さをもった木が、となりの木と葉っぱを触れあわすような状態で、集団で生えている場所を森林と呼ぶというのが基本的な考え方です。森林を大きくわけると、天然林と人工林に分けることができます。よく新聞報道とかニュースを見ていると、人工林は動物が棲めなくて、杉の花粉症の原因になる、自然に生えている自然林は素晴らしい、というとんでもない話になっていることがあります。自然林というのは、学問上はほんとはありません。天然林と人工林の違いというのも実は非常に単純で、天然林とは人が植えていない林で、人工林とは人が植えた林です。天然林をさらに分けると、原生林と二次林、あるいは里山とか雑木林といわれるような山に分かれます。最近、子どたちに一番分かりやすい例えとして、原生林を説明するときには「もののけ姫で、しし神様の住んでいる森が原生林です」と、里山林とか二次林は「となりのトトロで、おばあちゃんが働いていた田んぼのまわりに林があった」というとだいたいわかってもらえます。
原生林というのは人間の手が入っていない森です。ただ、日本のような狭い国には現実には原生林はありません。原生林の代表のように言われている白神山地に入ってみれば炭焼き窯や人間が伐ったあとがいっぱいあります。人間の手が入っている頻度が比較的薄いところ、と覚えてもらえばいいと思います。雑木林や里山とは、人間が炭や薪をとってきたり、落ち葉を焚いてそれを堆肥にしたり、要するに生活するために絶対必要な資材を頻繁にそこからもってきていたなど、農的な利用を人間がしてきた場所です。
桃太郎のおじいさんは山で何をしていたか
桃太郎の昔話に「おじいさんは山へ柴かりにいきました」というのがあります。では、この柴とは何かと聞かれて答えられる人はほとんどおりません。おじいちゃんは、木の枝みたいなのを背負ってかえってきます。里山の木は、薪や炭をとるために木を伐ります。伐ったあとから、きり株から子供の枝がいっぱい生えてきます。このまま放っておくと藪になってしまう。そこでこれを一本か二本仕立てて立派な森にするわけです。そのときに伐られる一本か二本以外のものを柴といいます。柴が生えてくるような木はどんな木かというと栗や小楢です。おじいさんは山へ草刈にいったのではなくて、山の手入れにいったのです。子供たちにあれほど、みんな読んであげているのに、だれもその言葉がどういう意味かわからないというのは大きな問題ではないかと思います。このことは、最後の結論とも近くなりますが、日本人だったら全員知っているような当たり前の昔話に出てくる森や山にかかわる言葉をいかに僕らはきちんと説明できなくなってしまっているか。それを危機的に感じなければいけないのではないのかと思います。
伐って、使って森を育てる
森の木というのは、明るいところを好む木と、暗いところでも大丈夫な木に大きく分かれますが、二十年か三十年に一度ずつ伐って使っている場所というのは、基本的には明るいところを好きな木で構成されます。平地があったら、最初に草が生えてきて、次に明るいところを好む木が生えてきます。その木が大きくなると森の中が暗くなるので、自分の子供が芽を出すことができなくなります。たとえば鳥が飛んできて、糞を落とす。この糞に含まれている暗いところでも大丈夫な木がだんだん生えてきて、最終的には暗いところでも大丈夫な木が上になって、明るいところを好む木が枯れてしまう。暗いところでも大丈夫な木の子供はまた生えることができますから、最終的には暗いところでも大丈夫な木によって森ができてくる。これが基本的な考え方です。だから原生林というのは当然暗いところが好きな木でつくられているというのがわかります。二次林や里山は、人間が近くで常に利用するため、常に明るいところが好きな木になるわけです。
岩手県の県木である赤松というのは、明るいところが大好きな木の代表です。私たちが身のまわりで赤松の木をよく見かけるということで、今日お集まりの皆さんのお父さんやおじいさん、そのまたお父さんやおじいさんといった人たちが、いかに森を使ってきたか、森を使いながら自分たちの暮しを成り立たせてきたかということがわかります。伐って森をなくしてしまうのではなく、その森をもう一度大事に育てていく、という過程を経てきたから赤松がいっぱいあるのです。
氷河期の生き物が棲み続ける落葉広葉樹
1万年前、日本という国は氷河期になりました。関東地方を境として、関東地方より北が落葉広葉樹林の自然林で、関東地方より南は照葉樹林という森になります。照葉樹とは椿のような冬になっても葉が落ちないで、葉がてらてらしている木のことです。氷河期の頃はもっと寒かったので、この境がもっとずっと南にあったといわれています。それで、関東地方あたりでも里山や雑木林はみんなクヌギとか小楢とか、落葉する木でできている。これは1万年前まで落葉広葉樹林だった森を、人間が農業をはじめて伐って使ったので、明るいところが好きな落葉広葉樹が棲みつづけたわけです。その結果として、氷河期のころの生き物がたくさん生き残っています。自然のままにしておくのが一番といって人間が手が触れないでいたら、この氷河期からの生き残りの生き物はどんどんいなくなってしまいます。
最近、絶滅危惧種として話題になっているチョウセンアカシジミという蝶々の幼虫は、人間がよく手入れをしている森に出てくるデワノトネリコという木を食べます。昔の農家の人たちはトネリコを稲のはせがけ用の木に使っておりました。チョウセンアカシジミという蝶々はこの辺りの地域に住んでいる人たちが農業をやって暮らしていることによってだけ生き残れる蝶々です。ところが農業でも、あるいは炭や薪も使わなくなったものですから、森の手入れがされずデワノトネリコがなくなっていき、住み心地がどんどん悪くなって、蝶々の数が減ってしまい、天然記念物になってしまいました。
僕らが森と関わって暮らすということは、単純に人間は森に手を触れてはいけないんだということではありません。森が森でなくなるようなかかわりかたをしてはいけないですが、1万年前に氷河期がおわったにもかかわらず、人間が手を加えることによって、そのときの環境が、残りつづけて生き残ってきた生き物たちというのがたくさんいます。それは自然の摂理なんだからほっといて全部絶滅してしまえ、というのもひとつの考え方なので否定はしません。しかし、僕らの先祖の暮しの中でともに生きてきた生き物たちが、僕たちが暮らし方を変えたことによって、今、どんどん絶滅していっているということを考えたときに、「自然を守るとはどういうことですか」という問いかけをしなければいけないと思います。地域のなかの暮しというものが、ともに暮している生き物たちをたくさん育んできたのです。僕たちは無責任にも、いまその暮らし方を勝手に変えたわけです。変えたことによって、世界中の森林を壊しながら、自分たちの足元にいる生き物たちも暮らしずらい、そんな自然をつくっている、ということをまず考えなければなりません。
手入れをしなければだめになる日本の森
今、日本中で1年間に使う木材の量とは約1億立方メートルぐらいです。日本の森林資源は全体で2,500万haです。このうち、人工林は1000万ha。天然林は1500万ha。日本の木材自給率は約19%といわれています。単純に計算して1年間にどのくらい利息がつくのかといえば、約1haあたり年間7立方メートルぐらいの成長量があります。人工林は1000万haですから、単純計算すると7000万立方メートルの木材が育つということになります。いまお話して分かるように、天然林といったところで、雑木林のところは伐って使ってもいいわけです。天然林の平均成長量というのは人工林より低いですから、3立方メートルと考えると、天然林1500万haのうち、半分の700万haを使ったとしたら、2100万立方メートルになります。人工林7000万立方メートル、天然林2100万立方メートル使うとして合計で9100万立方メートルです。年間の木材使用量が約1億立方メートルですから、日本の木材自給率は90%までOKということになります。実際は条件の悪いところもありますから、この話を半分に考えても、50%自給はOKということになります。こんな日本の自給率を見て、日本人は大事に貯蓄しているんだな、と考える人もいます。
熱帯雨林の破壊について書かれた本を読むと、日本人はずるい、かつての、ナチスドイツがやったように、自分たちの国の森を囲いこんで、よその国の森を壊している、というふうに書かれています。この本を訳した私どもの分野では大変偉い先生がわざわざ注意書きをつけています。「これは間違っている」と。日本人がやってることは、よその国までいって木を伐って、囲い込んだ森を手入れをしないことによってどんどん駄目にしている。角を詰めて牛を殺すという、まったく手入れをしないでどんどん駄目にしているということです。
森林の木の成長というのは大きく分けて、縦に伸びる伸長成長と、横に太くなる肥大成長に分けられます。縦に伸びる成長というのは、森林の土の条件に大きく左右され、土がよければいいほど縦に木は伸びます。肥大成長というのは光の条件に左右され、光が当たればあたるほど太くなるタイプです。このタイプは木が育っていくと隣の木とぶつかるようになります。横の木にぶつかるようになれば、光が使える量が減ってくるので、横に太る量がだんだん減ってきます。そうすると森がどうなるかというと、縦にひょろ長くて細い木ばかりになってしまう。そしてちょっと雪が降りました、風が吹きました。そうするとボキボキと折れてこの森が駄目になっていき、木材として使われなくなってしまいます。さらに森の中が真っ暗になりますと、光が差しこまなくなるので草が生えなくなる。草が生えなくなると保水力が下がるので土がやせてしまい、最終的には森の土壌能力が薄くなります。あるいは、植えた木以外は植物が生えないので、生物の多様性が失われ、ほかの生き物が生きずらくなる、というメカニズムです。実は、日本人はずるいのではなく、バカなんです。ずるいはバカよりまだましで、手入れして立派な森をつくっていればまだいいですが、人さまの国に迷惑をかけにいったうえに、森をあまやかしては駄目にしている。これがいまの日本の山です。人工林というのは手入れをしなければ駄目なんだというのがこれで分かっていただけると思います。
人工林が造られた3つの理由
よく自然保護団体の方が私ら林業関係者に、生態系の保護のために人工林1000万haは多すぎるのではないか、こんな杉やヒノキばかり植えて、熊さんや鹿さんが棲むところがなくなったではないかと言ってこられます。紫波町で、熊用の栗の木を植えていますが、これは素晴らしい活動だと思います。まず、ここで考えていただきたいのは、1000万haの人工林がつくられたのには、理由が三つあるということです。人工林を全部、十束一絡げに非難してくれるなという思いがあります。
まず一つめは、戦後すぐに統制伐採により山が丸坊主になりました。岩手県内でもキャサリン台風などで山が丸坊主になったゆえの大災害もたくさんおきて、丸坊主になった山を一刻も早く回復しなければいけない。東京などの都市部は焼け野原になってしまって、建物を建てなければいけない。そうして家を建てるための木が圧倒的に足りないから杉を植える。楢とかブナを植えるわけがない。当たり前のことでした。みなさん覚えてらっしゃるかたが世代的に多いと思いますが、お山の杉の子という歌があります。あの歌を聴けば、杉の木を植えることは善だった時代だった。時代によって違うということがまずわかります。
二番目は、先ほど説明した里山というのは、岩手県の場合は炭焼きをやっていましたから、現実には里山というより雑木林です。しかし、1950年代のなかばぐらいに、石油やガスというのがどんどん自由に輸入されてくるようになり、炭がいらなくなった。生活様式も変わり、都市にどんどん人が流れこんでいた時期ですから、建築用の木材価格があがっていきました。だれが考えたって炭をだれも買ったくれないのだったら、雑木林に杉を植えるのは当たり前です。よく自然保護関係の町の人が山にきて、どうしてこんなところにまで杉を植えてしまったのか、と言うのですが「あなたたちのせいだろう。あなたたちの生活が変わったから杉を植えたのでしょう。なぜ人のせいにするのか」と、一度大きな声で言ってやりたいと、いつも思っています。
三番目の理由は、これはやはり林業関係者がゴメンナサイというべきで、原生林的な山が奥の方にあったところ、これを伐って杉に植え替えた。山の上の方ですから、もともと杉が育つような気温とか気候ではないようなところに杉を植えてしまった。その結果として動物たちがますます棲みにくくなってしまったということがいえます。これも、その当時の理由から考えてみましょう。木は人間と同じ生き物ですから、木全体が大きくなるほど呼吸するところが増えてきます。そのためカロリーを使うわけです。葉のところで栄養を摂りますが、人間と同じく木も太るときには、呼吸する量よりも、使う量が少なければ太ってきます。すなわち木が大きくなればなるほど呼吸する量がふえてきますから太れなくなります。当時木材が足りない時代、太らない木を植えておいたって仕方がない、だから伐って育ちのいい木に植えかえましょう、という発想でやったんですね。奥地の山というのはだいたい国有林だったので「なぜ国有林の木を伐らないんだ」というような論調が新聞におどりました。こんなに木材の値段が高いのだから伐りおしみをするなといわれて伐ったんですね。ただ林業関係者はプロなんだから、「こんなところに木を植えたって育たないかだから駄目だ」と突っぱねていたなら、いまごろ林業関係者はもっと皆さんから褒められたでしょうけれども、負けてしまったところがちょっと残念でした。そうして戦前には100万haぐらいしかなかった人工林が、この50年60年の間に1000万haになった。これは日本全体の中での生活の仕方の変化というのが非常に大きく影響しています。そのことを無視して、単純に人工林があると思い、林業関係者がいけない、、山のやつらが勝手に儲かると思い植えたんだろう、と言われては立つ瀬がありません。もちろん、人工林化し過ぎたかなと思うところを広葉樹に変えていく作業はこれから必要ですが、つくってしまった森は手入れをして使う以外にはどうしようもありません。放っておいては駄目です。手入れをすることによっていい環境をつくっていくことができるということがはっきりしています。
人と人の関係、森と人の関係の復活
日本は、だいたい海から山に向って、一番海沿いのところに漁村があって、河口に向って川が流れている。河口の近くのところに大きな町がある、都市がある。それから平ら場に農村があって、山の中に山村がある。かつては、都市というのは最も自給自足のできない場所ですから、いろんなものを農村や山村からもってきて暮らしていました。ここの人たちが山村とどのような関わりを持っていたかというと、たとえば木材が欲しい、炭が欲しいという関係がある、キノコなどの山の幸が欲しいとか、いろいろな関わりがあった。それに合わせて村に住んでいる人たちはその周辺の森と多様な関係をつくるようになります。人と人との関係が多様だったからこそ、森と人との関係が多様でした。おじいさんが山へ柴かりにいくときもあれば、木材を伐り出すときもあった。
戦後に起きたのは、生活環境が変わっていき、炭いりません、薪いりません、なにもいりません、というようなことから木材だけになってしまった。木材だけになってしまったから、山の人たちと森との関係も木材だけになってしまった。さらに都市部では外国から木をもってくるから、日本の山の木はいらないよと言われたら、山との関係がなくなるにきまっています。大事なことは、人と人との関係が、森と人との関係をつくっているのだ、ということです。
では、これからどうするのか。外国から木材をまったく輸入しなければ、日本の森林は回復するし、世界に迷惑をかけないだろうという短絡的な結論もありうるのですが、今、WTO協定など自由主義貿易が世界中を流れる中で、日本がいきなり、外国からの木は買いません、国内だけでやっていきます、こんなことは通るわけがありません。長野オリンピックのときに、大きな建物が国産の唐松でつくられましたが、当時のオリンピックの委員会で国産の唐松を使って造り、県産材の振興をやると、大きな宣言をしてしまいました。宣言した直後にアメリカ大使館から電話がきて、「そんな非関税障壁をやっていいのか」とすぐ言われたそうです。こういう理屈がわかっていたとしても、少なくとも国レベルでは今の世界情勢上無理です。そしたらどうしたらいいのかと考えたら、もう少し地域制度は小さくなってしまうかもしれませんが、その地域の中で、森と人との関係を多様にしていく取り組みを増やすことしかないわけです。紫波町の中で、まず地域の子供たちが使う学校を地域の木材で造ろう、地域の森と自分たちの地元の関係をもういっぺん作り直そうという取り組みの第一歩としての、学校づくりというのは非常に大事なものとなります。
地域の力を高めよう
このことをもっと突き詰めていくと、地域の中で木材を使う、あるいは、地域に伝統的に残されている技術を使って家をつくるということで力を高めていって、そして、都市と、人と人との関係をつくるための、まず力をつけていくことが今、もっとも必要なことです。最後に目指すべきことは、多様な森と人との関係に基づいて人と人との関係をつくることことです。ただし、今すぐにその関係をつくろうと思っても、諸般の事情でいろいろむずかしいとすれば、いま森とともに暮らしている地域がやらなければいけないことは、自分達の暮らしの中で人と森との関係を復活させていくことだと思います。しかも多様なありかたということから考えると、紫波町では広葉樹を増やす運動と同時に、木材を使う、人工林の手入れをするということを両立させておられる。そこが私は非常に素晴らしいことだと思っています。地域の中での森と人との関係をきちんと立て直していく、その中で森からでてきた木を使う技術、それを使える人、そういったものを高めていって、いままで都市部にこちらが影響を受けていましたが、今度はそうではなくて地元で力をつけて、都市に向って訴える。そういうことをこれから考えていかなければならない。
一千何百万もの人がいる東京にも、東京の木で家をつくろうという運動をしている人たちがいます。年間東京で建つ家の数というのはたいしたことはなく、この運動で年間十数戸しか家建っていません。しかし、東京でも、どうもこういう暮し方はおかしいと思う人がたくさんでてきています。でも、もし、東京都民がいまみんなで、東京の木で家を建てようとしたら、東京の木は荒れ坊主になってしまう。そこで彼らは岩手や九州など、人に比べて森の多いところとどうつき合っていくのかということを先立って考えるべきで、まず、東京の活動は自分たちの足元を動かすことを目的としている。だから、岩手県内でそういう地域と、木を使って家をつくろう、地域の技術を活かして家づくりをしていこう、そういう木材を出していこう、という動きがでてきたら、そのときは喜んで手を組ましてもらおう。輸入された、外国の森に迷惑をかけているものではない、きちんと地元の人たちが丹精込めて育ててくれた木、あるいはその技術を使って加工してくれた木であれば、喜んで使わせてもらいますと言っています。
紫波町で学校をつくられたというのは、非常に象徴的なことで、次代を担う子供たちが、住むべき暮らすべき場所を皮切りに、地域の中で森とのつき合いかたをもう一度回復していく、あるいは、森を利用した文化の一つである家づくりを中心にした地域の伝統や文化というものをもう一度復元していく。自分たちの森を駄目にして、世界中の森を壊しているような日本全体のいびつな構造を変えていくには、もはや都市からでは駄目なんだ、と。地元の方たちが地元にある木で、自分たちの伝統的な技術を使って、どこに対しても誇れる、私たちはこうやって森と暮らしてきましたと、森の近くで暮らしている人たちが自信を取り戻して「どうだ、羨ましいだろう」、「羨ましかったら売ってやるから使ってみろ」というぐらいの、そういった自信を持った村での、森との暮らし方を復元してくれることが一番大事なことだと思っています。
最初に言った答えをもう一度いいます。「なぜ、地域の木材で学校をつくるのか」そこに森があるからだ。それではご清聴ありがとうございました。
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